【ラブライブ!サンシャイン!!2期】#5「犬を拾う。」感想ひとりごと
アバン
また雨が強くなってきたね…
ラブライブにおいて雨はキャラクターの悲しみや鬱屈とした気持ちの象徴ですが、サンシャインの2期2話で見たようにそのマイナスイメージの雨も捉え方次第ではプラスに変えることができる。「雨も味方なんだ」と言わんばかりのスタンスがAqoursであることは2話を見れば分かるかと思いますが、今回の2期5話も「雨」というのは善子にとっての「出逢い(運命)」においては必要不可欠なものでした。
胸騒ぎがするこの空…
最終決戦的な何かが始まろうと…
善子のお馴染みの中二病なセリフ。ですが、5話を一通り見ると彼女の何気ない中二病なセリフも聞こえ方が変わるような気がします。例えば、ここで彼女は、普通の人から見ればただの「雨空」だとしか思えないものに対しても、「胸騒ぎがする」や「最終決戦的な何かが始まる予感」と捉えている訳です。一見すると何事でも無いものに対しても意味合いを付与する姿勢。それこそが、5話の鍵となる「運命」や「必然」というものに対して彼女がいち早く言及することができた理由なのではないでしょうか。
何その動き…
もしかして、何かが私を導いて…
「一見すると何事でも無いものに対しても意味合いを付与する姿勢」。ここでも表れていますね。
不思議な力が彼女を約束の地へと導いたようです。
Aパート
うーん。しいたけ、梨子ちゃんのこと大好きだと思うんだけどな…
犬は見ただけで、敵と味方を見分ける不思議な力があるって
5話後半でも「見えない力」の存在を善子が語りますが、梨子も最終的に「見えない力」の存在を信じることができた理由の一端には、千歌のこういった何気ないセリフがあるのだと思います。
やっぱり、輝きだよ!
まぁ、輝きっていうのは千歌が始めたときからずっと追いかけてきたものだしね
次のラブライブで披露する曲のテーマについて、千歌は「輝き」を提案します。果南も言います。千歌はずっと最初から「輝き」を追いかけてきたと。
前々回に書いた2期3話の記事の中でサンシャイン2期において「輝きって、いったいどこから来るんだろう」という千歌のモノローグから始まった言葉がひとつ重要な命題になると考えています。
『ラブライブ!サンシャイン!!』に向けた期待として、その「キセキ」や「輝き」に対してどれだけより深く突き詰めて描き出してくれるかが私個人としてはあります。
5話ではさらりとしか触れられていませんが、2期はポップな路線とシリアスな路線の両方が楽しめるというキャストのインタビューもあり、より深い「輝き」や「キセキ」のあり方について2期ないしサンシャインでは深掘りしてくれることを期待しております。
Aqoursの可能性を広げる為には模索が必要ですわ
一つに留まらない、多くの魅力を持っていなければ、全国大会に進めませんわ
ダイヤさんの「可能性を広げる」「多くの魅力」というセリフ。ここで脱線ないしはリアルなラブライブでは物語に結びつく話かもしれませんが、キャストのAqoursはジャンル媒体問わずのメディア展開を実際にやってのけています。その根本にあるのは、沢山の人たちに「知ってもらいたい」という想い。
「ラブライブ!サンシャイン‼︎」そして "Aqours"をもっともっと色んな人に知ってもらってたくさん応援して頂けるように…!一歩一歩、大切にAqours 9人 頑張っていきます(`・ω・´)!!
それは、酒井監督がオフィシャルファンクラブで語るところの「感情に嘘がない」ということではないでしょうか。
”感情に嘘がない”というのは『ラブライブ!』の本質だと思うんです。人間が持つ根源の動機は、絶対”真実”じゃなくてはいけない。千歌たちが想う欲と伊波さんたちの願いは同じじゃないといけないって。それをフィルムに焼きつけて観てもらうというのが、μ'sのころからずっと続いている、この作品の魅力だと思ってます。
監督 酒井和男『ラブライブ!サンシャイン!!TVアニメオフィシャルBOOK』
今はキャストが少しだけ追い越す形で「可能性を広げる」「多くの魅力」という活動を押し進めていますが、物語の中のAqoursたちもそれらを押し進めた姿に成長していくのではないでしょうか。
遠く離れた地でもライバルでもあり同じラブライブを目指す仲間であるSaint Snowの聖良と理亞も頑張っています。
えっ?今から届けに?
そうなの。善子ちゃんのお母さん、携帯忘れていっちゃって
善子ママが携帯を忘れていかなければ、梨子とあんこの出逢いも無かったかもしれませんし、「見えない力」や「運命」を信じることも彼女はできなかったかもしれません。
一見関係ないものでも実は影響し合っていること。「バタフライエフェクト」や「風が吹けば桶屋が儲かる」とも言われるものですが、「蝶の羽ばたきが遠い地でめぐりめぐってトルネードを引き起こす原因になる」ことを誰も否定できないように、不確定要素の多い世界では小さい誤差でも大きな変化へと繋がる可能性がある訳です。
という大層なお話もありますが、最終的に5話で言われていることは、「些細な出来事でも、それを「必然かも」と思うことによって、世界が素敵に見えたり、新しい一歩を踏み出す力になる」ということ。
上記の場面も、最終的に梨子の気づきに繋がる上では必要だったことなんじゃないかと思うことで、素敵だなと思える。これを俯瞰して見てみると、作中の中で気づきを得た梨子も、その姿を見て再び物語を見る私たちも、二重に世界は素晴らしく見えるようになっているという構図が面白くありました。
拾った?
違う、出会ったの。邂逅。ディスティニーが2人を引き合わせたの
善子は「犬を拾い」ます。梨子は「拾った」と尋ねますが、善子は拾ったのではなく「邂逅」「運命」だと語ります。邂逅とは思いがけなく会うこと。ここでは運命と同義です。
冒頭から述べていますが、彼女は一見すると何事でも無いものに対しても意味合いを求めます。犬との出逢いも運命。後半の善子の語りで明らかになりますが、彼女の生い立ちやモノの捉え方を知るとなぜそういう思考に至るのかということがハッキリと分かります。
敵と味方を見分ける不思議な力か…
結局犬を引き取ることになった梨子ですが、犬と接していくうちに段々と苦手を克服していっている様子。千歌も言っていた「敵と味方を見分ける不思議な力」ですが、梨子もその言葉を思い出し、不思議な力があることをどこかで信じることで、新しい一歩を踏み出すことができました。見えない力があるのかもと思うことで、新しい一歩を踏み出す力になるのです。
ダメって言うから私が預かったのよ?
さぁご飯にしましょうねー、ノクターン
ちょっと!ノクターンって何よ!
犬(ライラップス)を迎えに来た善子。あれだけ犬を嫌っていた梨子も「ノクターン」という名前を名付けるくらいには犬を克服して好きになった様子。これは本筋のメッセージとは異なる意味合いの考え方かもしれませんが、名前を決めることで「偶然」拾った犬も何か「必然」的な存在に変わるような気がします。しかも、音楽好きの梨子、中二な善子ならではの名前を犬に付けていることで、彼女たちの犬に対する愛着の深さも暗に感じられるようです。
喧嘩両成敗。「運命」が2人と1匹を分かちます。
「ノクターン」「ライラップス」のとの別れの時。
あんこがベロで舐めてくれたことで梨子はハッとした表情を浮かべます。思えば、この時が初めて梨子が犬に触れられた瞬間でした。初めて犬に触れられた事実、温もりが、梨子に目に見えない力の存在を少しだけ確信させたのでしょうか。ただ単純に犬に触れられたことが彼女にとって大きなできごとだったのでしょうか。
いずれにせよ、彼女が一歩踏み出し手を伸ばしたことで、彼女が見る世界は変わったように思えます。
監督もオフィシャルファンブックのインタビューで語っていましたが「彼女たちの中のなにかが変われば、世界は変わる」というもの。多感な中高生の頃の感性って本当に凄くて、悲しいことがあっても世界が終わるかのような絶望感に苛まれるのです。他の人からしたら何でも無いように思えることでも、彼女たちの中ではそれが世界の全てとして捉えていたりします。だからこそ、彼女自身が変われば確かに世界は変わって見えたのです。
TALK ABOUT SUNSHINE !! 4 - 【超主観Ver.】『ラブライブ!サンシャイン!!』の好きなシーン - - きりんログ
以上の通りオフィシャルファンクラブでも酒井監督がその旨を語っていましたが、5話の上記の場面でも梨子の中で犬に対して、はたまた「目に見えない力」「運命」に対しての見方が変わったことで、世界もこれまでとは変わって見えるようになったのだと思います。5話の最後の結論もそうですが、全ての出逢いに意味があると信じることが素敵だと自分自身が思った時点で、世界は変わっているのです。
Bパート
ただ私は、後悔しないようにするだけ…これが最後のラブライブだしね
ダイヤと鞠莉と、3人でここで曲作って、その想いが繋がって、偶然が重なってここまできたんだもんやりきった、って思いたい。
Bパートが始まると共に場面は変わり果南の口から「終わり」を感じさせる言葉が告げられます。千歌も「最後…」と言っていましたが、サンシャインで初めて明確に「最後のラブライブ」を感じさせる話になったのではないでしょうか。
「ただ私は、後悔しないようにするだけ」
「やりきった、って思いたい。」
はじまりには「後悔したくない目の前に僕らの道がある」と歌い出し、おわりには「やり遂げたよ、最後まで」と言った、穂乃果の言葉を思い出させます。サンシャインでは「輝きたい!!」に代表されるように、ラブライブの大きな柱でもあった「輝く」ということに対して最初から向かう姿勢が特徴的ですが、この場面での果南の言葉も何か同じようなニュアンスを感じさせます。彼女たちはラブライブという大きなレールの上で更なる大きなものを描きだすために初めから本質的な言葉を使っているように感じました。
ライラップスが飼い主の元に戻ったことでショックを感じた善子たちは、再び会うために飼い主の家に足を運びます。
こうなったら…
出て来るまで…待つ!
あの子は私にとって特別なの!
偶然拾った犬にも関わらず、「特別」だと語る善子。その理由が、この後語られる彼女の生い立ちやモノの捉え方から分かります。
どうして、運命なの?
ディステニーよ。
…堕天使って、いると思う…?
私さ、小さい頃から凄い運が悪かったの
外に出ればいつも雨に降られるし、転ぶし、何しても自分だけ上手くいかないし。それで思ったの
きっと、私が特別だから見えない力が働いているんだって
それで、堕天使…
もちろん堕天使なんているはずないって、それはもう何となく感じている…
クラスじゃ、言わないようにしているし…
でもさ、本当にそういうの全くないのかなって…
運命とか、見えない力とか…そんな時、出会ったの。何か見えない力で、引き寄せられるようだった…
これは絶対偶然じゃなくて、何かに導かれてるんだって、そう思った
不思議な力が働いたんだって…
彼女が偶然出逢った犬を「特別」だと感じた理由、それは彼女とライラップスの出逢い自体が「運命」の存在を確信させるような特別なものだったから。
そして、彼女がそう感じるだけの人生を歩んできたから。
この5話で彼女は小さい頃から「不運」だということが語られていましたが、1期の5話「ヨハネ堕天」を振り返ると小さい頃彼女は自分のことを「天使」だと言っていたことが花丸の口から語られていました。この頃から「不運」であったかは定かではないですが、少なくとも小さい時の彼女のキラキラと輝く姿からは、不運では無かったのか、あるいはそれを不運とさえ思っていないように感じました。
私、本当は天使なの!
いつか羽が生えて、天に還るんだ!
そんな彼女は大きくなるに従って、自分は「普通」なんじゃないかと思うようになります。
高校で初めて善子に出逢ったメンバーは、どうして善子が堕天使なのかという疑問を抱きます。
「どうして…堕天使だったんだろう?」
「偶然」か「必然」かは分かりませんが、今思えばこの時「なぜ堕天使なのか」という疑問の声を口にしていたのは梨子でした。
「なぜ堕天使か」という理由は花丸の口から告げられます。
まる、分かる気がします…
ずっと普通だったんだと思うんです。
私達と同じで、あまり目立たなくて
そういう時、思いませんか?
これが本当の自分なのかなって…
元々は天使のようにキラキラしていて…
何かのはずみでこうなっちゃったんじゃないかなって
「天使」だと言っていた自分が「普通」だと分かった時、これが本当の自分の姿なのかと思うようになり、それで自分は「堕天使」だと思い込むようになったと。
「確かにそんな気持ちあった気がする…」
花丸の言葉を聞いて開口一番に同じ気持ちが自分にもあったと語ったのは梨子でした。遠いように見えて、実は梨子も近い感性を持っていたことが分かります。
そして、今回あらためて善子の口から「なぜ堕天使なのか」ということが語られます。
それは、彼女が小さい時から「不運」だったから。だからこそ、
「私が特別だから見えない力が働いているんだって」
と善子は思い込むようになりました。1期5話で語られた「普通」だったからという理由に加えて、2期5話で語られた「不運」だったから「堕天使」だという理由。
「それで、堕天使…」
1期5話に続いて今回も梨子が善子が堕天使である理由を知ることができました。
そして今は、「堕天使なんているはずない」と感じていると語る善子。それでもなお、「運命とか、見えない力とか」がこの世界にあるかもしれないということを、心のどこかで期待していると善子は語ります。
そんな時、彼女は出逢いました―
雨の降る日、強い風に煽られ傘を手放し、偶然飛ばされた傘の先にいた「運命」の相手に。
「これは絶対偶然じゃなくて、何かに導かれてるんだって、そう思った。不思議な力が働いたんだって…」
劇的な出逢い。善子が普通だと思っていた世界にも、どこかで「運命」や「不思議な力」が確かにあることを。
以上が、彼女がライラップスを「特別」だと感じた理由。ギリシア神話において、神によって「運命」に定められた犬として扱われてきたことも、善子が「ライラップス」と名付けた理由かもしれません。善子にとってライラップスの存在自体が「運命」だったのです。
雨…やんだね…
善子が運命や見えない力の存在を口にした時、世界が変わりました。「あんこ」の名前が書かれた飲み物を買う善子。これも「運命」を感じて買ったのかどうなのか。
再び邂逅の時。
気付いて…!!
見た!
私よ、分かる?
善子の気持ちが届いたのか。あんこが善子と梨子に気付いてこちらを見ました。
あんこ、雨あがったばっかりだからまだお散歩だめだって…おうちへ戻ろうねー
束の間の邂逅。善子たちの気持ちは届いたのか。真実は分かりませんが、これも捉え方次第なのではないでしょうか。そのことが次の梨子の言葉から分かります。
この堕天使ヨハネに気づかないなんて…
でも、見てくれた!
見えない力は、あると思う!善子ちゃんの中だけじゃなく、どんな人にも…
梨子は語ります。「見えない力は、あると思う!」と。梨子はきっと、善子の気持ちが届いたからこそ見てくれたと捉えたのでしょう。
うん!だから信じている限り、きっとその力は働いていると思うよ
「見えない力」は、自分が信じている限り働くもの。見えない力があるかどうかは誰にも確かめようがありませんが、でもその力は存在を信じることによって誰の中にも存在しえるもの。
流石、私のリトルデーモン
ヨハネの名において、上級リトルデーモンに認定してあげる!
ありがと、ヨハネちゃん!
善子!…あれ?
5話で「善子ちゃん」という呼びかけにずっと「ヨハネ」と返していた善子。思わぬ逆パターンに思わず「善子!」と返してしまっていました。
場面変わって十千万旅館で千歌と梨子が会話するシーン。
偶然が重なって、ここまで来た。か…
果南が言っていた言葉が千歌の中に残っているようです。
試してみようかなって。これも出逢いだから…
私ね、もしかしてこの世界に偶然ってないのかもって思ったの…
偶然は…ない?
色んな人が、色んな思いを抱いて、その思いが見えない力になって、引き寄せられて、運命のように出会う…
全てに、意味がある
「試してみようかなって。これも出逢いだから…」。苦手だったしいたけにも触ろうと梨子は手を伸ばします。偶然ではない必然としての「出逢い」だと思えるようになったからこそ梨子はその出逢いを大切にするためにしいたけに手を伸ばすことが出来たのです。
「私ね、もしかしてこの世界に偶然ってないのかもって思ったの…」。先程の千歌の「偶然が重なって、ここまで来た。か… 」という言葉とは反しているように思えますが、丸っきり反しているのではなく捉え方が少し違うだけで本質的には似ていることを言っていると思います。
果南は「想いが繋がって、偶然が重なってここまできた」と、今の出逢いがあるのは3人の想いが繋がってきたからだと語ります。そして、「偶然」が積み重なって来た結果だと。一方で梨子は、「色んな人が、色んな思いを抱いて、その思いが見えない力になって、引き寄せられて、運命のように出会う」と、今の出逢いがあるのは同じように色んな人の想いがあるからだと語ります。人の想いが今の出逢いを生んだという点については果南と変わりませんが、梨子はそれを「必然」の結果だったと考えます。
そう思えるようになったのは、梨子が千歌の言葉から「不思議な力」を意識し始め、ノクターンとの「運命」のような出逢いに善子と触れたことによって、その「不思議な力」が誰の中にもあるんじゃないかと思い始めたから。
うん
見えないだけできっと!
そう思えば、素敵じゃない?
「色んな人たちの想いが見えない力になって、お互いに引き寄せ合い、「運命」のように、全てのことには意味がある」と。そう「思うこと」こそが「素敵」なのであって、世界を変えることができる方法なのだと。
自らの体験を持って物事の捉え方を変えることができた梨子。彼女の世界はこの1日を境に大きく変わったことでしょう。
桜内梨子にとってのキセキ
2期3話「虹」で、梨子は「私達はキセキは起こせないもの」と一度目の前にある現実を受け入れることで前に進む勇気を手にすることができました。
その言葉と梨子の想いを受け取った千歌は、千歌自身が「キセキ」とずっと向き合って来たこともあり(3話感想参照)、「ただ一生懸命、夢中になって、何かをしようとしている。なんとかしたい、何かを変えたい」という想いと行動の結果として起こるものが「キセキ」であると、答えを出すことができました。
そして、5話。既に述べて来たように、梨子はこの世界には「この世界に偶然ってないのかも」と語ります。そして、「色んな人が、色んな思いを抱いて」その結果が「見えない力」になり「引き寄せられて、運命のように出会う」のだと。この世界に偶然は無く、ただ色んな人の想いが交錯した必然の結果として運命や出逢いは生まれるもの。
千歌の言う「キセキ」と梨子の言う「運命」。誰かの想いの結果として必然的に生まれるものであるという共通点があります。
ともするならば、梨子のなかで「キセキ」の捉え方が変化した、とは断言できないかもしれませんが、彼女の中で目に見えないものである運命の捉え方が変化したように、「キセキ」は誰かの想いの結果として生まれるものだと思えるようにきっと成長できたのではないかと思います。
桜内梨子の「運命」の捉え方
うんめい【運命】
人間の意志にかかわらず、身にめぐって来る吉凶禍福。めぐり合わせ。転じて単に、将来。
辞書的な「運命」の意味は、「人間の意志にかかわらず、身にめぐって来る吉凶禍福」とあります。
しかし、5話で梨子が度々使ってきた「運命」という言葉の意味合いはどうでしょうか。
「色んな人が、色んな思いを抱いて、その思いが見えない力になって、引き寄せられて、運命のように出会う」
確かに「運命」は「めぐり合わせ」的な意味でここでも使われていますが、辞書と大きく違うのは梨子は運命、つまり見えない力は「人の想い」によって生まれるものだと語っているところです。
「人間の意思に関わらず」起こるものが運命ではなく、「人の想い」によって必然的に生まれるものが運命であると。そう言い切ることができる梨子の姿にはやはり成長を感じざるを得ませんでした。
「全てに、意味がある」という梨子の言葉について
終盤で運命について語る梨子が語った台詞。
ひとつには1期13話で千歌の「起きること全てを受け止めて」という想いと繋がるものであること。嬉しいことだけじゃなくて辛いことにも意味がある。根本にあるのはどちらも「全てをありのままに受け止める」という心持ちではないでしょうか。
もうひとつは、「全ての音には意味がある」音楽に傾倒している梨子だからこそ、意味が深まるセリフであること(ケバブの者(@YaFainal)さんのお話を聞いて)。このお話を聞いた時目から鱗が落ちたような感動がありました。
逢田梨香子さんが語る「一期一会」について
桜内梨子役の逢田さんが大切にされている好きな言葉「一期一会」。
今までで沢山の一期一会があったからこそ、今私はここにいるんだと、日々感謝しております。きっとこれからも沢山の出逢いがあると思いますが、今まで出逢った人はもちろん、これから出逢う人たち、ひとつひとつの出逢いを大切に生きていきたいと思います。
人との出逢いを大切にされていると語る逢田さん。その姿は、人と人が引き寄せ合う必然の見えない力はあるかもしれないと語る梨子の姿に重なるものがあるなと感じました。(ぼらら(@borara_lovelive)さんのお話を聞いて)
キャラクターとキャストの「感情に嘘がない」ラブライブだからこそ、出逢いの素晴らしさを語るエピソードがリアルに描かれたのだろうと思わされました。