きりんログ

-愛と青春と声豚の記録-

ラブライブ!The School Idol Movie -永遠に輝き続ける青春の物語-

感謝

劇場版の感想を書きはじめる前に、まずは制作スタッフならびにキャストへの感謝の気持ちを言葉にしたいと思います。
劇場版は最高の形でラブライブ!のアニメシリーズに幕を降ろしてくれました。
穂乃果たちがラストに下した決断、それは我々が待っていた答えそのものでした。

見守り続けた大好きな作品の最後に、望んでいた結末を見られたこと。これ以上ない喜びでした。

作品の今の人気を考えれば、続編を作るために別の結末を迎えることも出来たでしょう。
しかし、それをしなかった。そのことに、私は最大の賞賛を送りたいと思います。

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ふつうに考えると自然なことが、まわりの反応とか受けを考えるとブレてしまう。そういうところは常に気をつけていました。外側から"お話を作ろう"としてはいけない、と。

『電撃ラブライブ! 3学期』シリーズ構成花田十輝インタビューより

 

アニメの続編を待ち望むファンが少なからずいたことは事実でしょう。

大成功したコンテンツをまだ継続させたい、という大人の思惑もあったでしょう。
しかし、そんな周りからの反応を受けながらも、物語のラストを飾るに相応しい結末を描いた。

強い信念を持って物語を描き切った監督、ならびに制作スタッフの一同には、強い謝辞を送らなければなりません。

そして、熱い思いを持ってキャラクターたちに命を吹き込んできたキャストの方々にも、同等の感謝を伝えたいです。
ラブライブ!の企画が始まってからの5年間、彼女たちはμ'sと共に歩んできました。
μ'sに"声"を与えたのは彼女たちであり、"歌"を与えたのも彼女たちに他なりません。

私たちは、人生をかけて、命をかけて、μ'sに声を吹き込んできました。

内田彩さんのコメント 「ラブライブ!The School Idol Movie」公開記念舞台挨拶より

 

内田彩さんの言葉からは、作品に賭ける熱い思いが伝わって来ました。それは他のメンバーも同じです。
自分が好きな作品に、キャストの情熱が込められていること。それを実感出来ることほど、嬉しいことはありません。
そしてキャストも、『μ's』を形作ってきた一部であるということが、以下の記事からあらためて実感させられました。

名もなき9人がデビューし
μ’s』としてひたすら駆け抜けてきた5年間。
小さな光だった彼女たちは
皆さんの応援に支えられ
たくさんの光の中で歌い踊るスクールアイドルになりました。
まだ見ぬ景色は、すぐそこに。
叶え!みんなの夢―。

『読売新聞』(全国版)全面記事(2015年6月12日)より

 

『μ's』には、企画がスタートしてからの5年間のすべてが要約されています。
それは、μ'sの半身としてライブを続けてきたキャストも例外ではありません。

大勢の人に支えられ、周りからの重圧がありながらも、「みんなで叶える物語」を描き切ったラブライブ!
そんな最高の作品に感謝の気持ちを述べつつ、劇場版への感想を綴っていきたいと思います。

※以下、ネタバレありの感想になります。

劇場版でしかできないこと

個別のシーンの感想は後に回すとして、まずは映画全体を通しての感想になります。
ラブライブ!The School Idol Movie』では、劇場版でしか出来ない要素が沢山盛り込まれていました。
まず、海外が舞台になっていたこと。海外に行くなんて、TVシリーズの最中には描ける話ではありません。
ラブライブ!のTVシリーズを描き切ったからこそ、その延長線で無理なく描けるものだと感じました。
次に、ライブシーン。特にミュージカルを意識した楽曲群は、TVシリーズのPVから格段にスケールアップしていました。
μ'sが縦横無尽に駆け回る姿は、大スクリーンだからこそ映えた演出でしょう。

それでもなお劇場版で描きたいこと

しかし、劇場版だから出来たことだけではなく、TVシリーズを踏襲した話も描かれていたことには非常に好感が持てました。
それは、映画の中盤~後半でμ'sに再び問われるμ'sのあり方についてです。
2期の終盤でも、この問題については描かれていましたし、μ'sも一度決着をつけていました。
しかし、劇場版ではTVアニメで出した結論に対して、「他者から見たμ's」という視点を導入することで、再びμ'sのあり方を問う展開に持っていきました。
先にTVシリーズを踏襲した、と言いましたが、訂正します。踏襲しつつも、それを新しい次元へと昇華させた、ここが劇場版のポイントだと思います。

The School Idol Movie

μ'sは「自分たちがスクールアイドルだったからμ'sを続けて来れた」という答えを見つけて、μ'sのあり方に対する最後の結論とします。
The School Idol Movieという副題はここに帰結するのか、と分かった時には、とてつもないカタルシスを覚えました。
しかし、劇場版の素晴らしいところは、単にμ'sのあり方に決着をつけていることだけではありません。
μ'sの存在意義をスクールアイドルに求めると同時に、スクールアイドルの価値にまで言及していたところが素晴らしいと思いました。
「限られた時間の中でせいいっぱい輝こうとする」

スクールアイドルの価値は、刹那の中にこそ真価がある、と。
The School Idol Movieの名は伊達ではないと、あらためて驚嘆させられました。

永遠に輝き続ける青春の物語

畑亜貴先生が劇場版を終えて、今のラブライブ!を表現するために付けたキャッチフレーズです。
劇場版ラブライブ!が最後に示した答えは、正にこの言葉に集約されていると感じました。
劇場版のラストには、μ'sの意思がスクールアイドルたちに受け継がれていったことが語られます。
あえてドーム大会の様子や、穂乃果たちのその後を映像として描くことなく、語りに任せたことには大きな意味があると思っています。
それは、我々にラブライブ!が「永遠に輝き続ける物語」であることを伝えたかったからではないでしょうか。
μ'sはもう存在しない。しかし、その意思を受け継いだスクールアイドルたちは永遠に輝き続ける。
それは、μ'sという存在自体がスクールアイドルという概念に形を変えて、永遠に輝き続ける、といっても過言ではないでしょう。
ラブライブ!が示した最後のメッセージに、この上なく壮大なメッセージを感じました。

最後に

ほのかな予感から始まり、光を追いかけてきた物語も最後を迎えました。
あらためて最高の形で結末を描いてくれた制作陣には感謝の言葉しかありません。
ラブライブ!は劇場版で一区切りを迎えました。しかし、ラブライブ!のコンテンツがこれで終わる訳ではありません。
それは別の形になるかもしれませんが、ラブライブ!が示す次の一歩を信じて、今後も輝き続ける青春の物語の証人になりたいと思います。